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おだやかにつきつめていく画家************************************************************小玉和文

*  宇和島湾に向かうフェリーの甲板から、凪の海を見ていた。淡いブルーグレーの水面に横たわる九島を横切った時「淳治さんの絵のかたちにちょっと似ているな」と僕は思った。
 九島は横に長い台形をしていて、フリーハンドで描かれたような線が島の輪郭を表わし、半円形の小さな島が二つ三つ身を寄せている。水平線はあくまでも直線で、それらの島々をすうーっと安定させている。空は海よりも青く、淀みない。
 宇和島市を訪ねるのは二度目だけれど、海から入ったのは初めてだった。フェリーのエンジン音だけが響く甲板で、久しぶりに再会する淳治さんへの第一声を思い浮かべた。
 エンジンの音が薄れ、船が岸壁に近づくにつれ、白いワイシャツ姿の淳治さんが小さく見えた。デッキにいる僕に気がついたのかつかないのか、なんとなくこちらを見ている様だった。
 街並の向こうには、すぐ千メートル級の鬼ヶ城連山が見える。その山々も、淳治さんの描く曲線の様に穏やかでいて、凛とした形に見えた。
 コンクリートの防波堤に立っている淳治さんは、ジャコメッティの彫刻のように静かだったけれど、僕が手を振った時、笑った様な気がした。
 船が接岸してからも上陸まで少し時間がかかる。その間僕は、海を見ながら宇和島に入った喜びと、淳治さんとの再会の嬉しさで、いささかセンチメンタルな気分になった。「宇和海に浮かぶ島や宇和島の山を見ると、淳治さんの絵のかたちを連想しますよ」と言うと「そうかな、そんなことは全然意識していないんだけどねぇ」と淳治さんは少し気の抜けた調子で「意識はしていないんだけどねぇ・・・でものんびりしたいいかたちをしているよねぇ・・・ほら、あの山の上にお城が見えるでしょ、あれが宇和島城なんだけどね。本当は木で囲まれていて城は殆ど見えなくなっていたんだけれど、城を見せる為に周りの木を切ったらしいんだよ。そんな事しなくたっていいのにねぇ。この城山の木はとてもいいんだ」と話してくれた。

*  17、8年前、東京は国立市の駅前にある喫茶店”邪宗門”で顔見知りになり、お互い一杯のコーヒー代をも案じる画学生の様な生活をしていた。
 それから20年近く、僕は音楽をやり、淳治さんは絵をかいた。宇和島を初めて訪ねた時、すでに10年が過ぎていた。
 ”かたち”という言葉を淳治さんから聞くようになったのはいつ頃からだろう。あの頃も今も、絵や芸術といった事について理屈を話す事があまりなく、まして自分自身の絵についてあれこれ話す事はほとんどなかった様に思う。例えば僕が、都会での生活と宇和島で絵をかく生活のちがいを問うたとしても、淳治さんは、「都会には都会の良さがあるし、田舎には田舎の良さがある」という風で、絵をかく生活の孤独感や、深刻さという様な事を表に出さない。「酒をのむ時は、白磁のすっきりとした徳利に円すい形のおちょこがいい」と言い、東京のビルの谷間に見える小さな竹藪を指さして「ちょっとおもしろいね」と言って写真を撮る。話が少し深刻な方へ傾くと「おおらかな気持ちでやっていけばいいんだよ、難しいけれどね」と言って、風を通してくれた。

 この17年、宇和島で絵を画いている吉田淳治は、”のんびりしたいいかたち”を見つけてきている気がします。
 海に出て釣りをやり、山ではきのこを採り、ゆっくりした時の流れの中で絵を描いていく生活、と言えばいかにも牧歌的な感じですが、「絵をかく時は何も意識していないんだけどねぇ」というこの画家は、自然が好きだけれど牧歌的ではなく、都市も好きだけれど無機的ではない感覚、のんびりしていても揺ぎのない形と、鋭くても深刻でない線とで、何ものにも属さない形を描いてきている様に思います。
 ここまで言葉無くひたすら絵を描いてきたこの画家の絵(画集)を手元に置き、それぞれの日常のなかでゆっくりと絵を観ていく事で、真の抽象絵画のおもしろさと”おだやかにつきつめていく画家の視点”が感受できればと思います。

1993年 春             (音楽家)